|
|
|
||
|
Sa. 8. Apr. 04 カタカナ外国語で外国語を勉強する場合に あぁあー。東京の地下鉄がメトロってう名前に変わるんですか? はー。なーんでカタカナにしないと気が済まないんだろうなあ。地下鉄じゃいけないんでしょうか?こうやって日本語がどんどん外国語もとい外来語(発音はME-TO-LOで全然Metroとは関係ない)に侵食されていくんだねー。ばっかみたーい。ほんっと、そういう感覚が残念。
そんな風に思う今日この頃の外国生活で、読んでいて本当に気持ちの良い現代文学が町田康なんです。多分、この人は徹底的にそれが表現のために必要なときを除いて、そういった外来語を排除した、独自の文体を気をつけているんだと思う。だって、ふつーに「レジへ会計に行って」なんて書けばいいじゃないですか。レジで、世の中通じてるんだから。でも、彼はそれを「勘定場」と書いていたりする。そういうのが沢山。よくよく考えてみれば、レジ、もいつからか、このメトロみたいな感じに使われだしたんだろう。そして、そのとき誰かが私のように嘆いたのだろう。
私から言わせてもらえれば、わざわざアルファベットにしかない音を、母音と子音とコンビでしか構成できない日本語の音に変換して日本語に使うっていう時点で、あ、外国語に対して自分自身に壁作ってるな、と思ってしまう。(例えば、DogはdogUでは決してないのに、ドッグって覚えるでしょ?)なぜかというと、ちょっとややこしい話になるんだけど、日本語にわざわざ変換したがために、その人の脳みそにはその日本語っぽい発音の言葉がインプットされる。dogはdogであって、それ以外のなにものでもないのに、わざわざdogguと脳にインプットする。その頭でいざ、外国人とその言語を使って話をする、そのときに、最初からdogって覚えておけば、そのまままっすぐ脳から出して使えばいいところを、今一度ドッグだったものを、dogに直して、それからやっと発言する。時間食います。ペラペラペラ〜と現地の人と大事な話をしているときに、これをやるのは一仕事ですよ、きっと。大事なところだって逃すかもしれないし、脳みそが混戦しまくって大騒ぎだと思う。 私も現に、ジェニャに注意されるよ。でも、自分はちゃんと言ったと思ってるの。口の構造上の問題だよ、とか言うけど、違うね。完全に脳みそが、アルファベットの言葉と日本語を区別しきれていないんだと思う。上手くスイッチを入れ替えてないんだと思うの。だから、私も人のこと本当は言えないんだ。 そして、これは日本で勉強している人や、外国にいても、自宅では日本語を話している人、にはとても難しい方法だと思う。環境が日本語であれば、思考回路も日本語にどっぷりなので、なかなか脳みそを切り替えるっていうことが出来ないから。私だって、こっちに来てからそういう風に思えるようになったもの。 はあ。なんか今日も理屈っぽいですね、私。
|
|||
|
ⓒ Maria All rights reserved |
|||